こんにちは!
はまをです。
前回の記事から4ヶ月ほど経ちましたが、その間にいろんなことがありました。
今回はタイトルの通り、炎上案件を2つ続けて担当した結果についてお伝えしたいと思います。
結論、ストレス性の病気と診断されてしまいました。
仕事に支障をきたしているという点で、中等度らしいです。
人生山あり谷ありとはよく言ったもので、
まさに、今年の4月中旬まで、娘が生まれ育休を取った頃までが山、
それからの4ヶ月間は谷だったのでしょう。
ここに至る経緯と今後の方針についてお伝えし、
少しでもどなたかの救いになれば良いなと思うと同時に、
周りにこうなった人がいらっしゃる場合、
その方への接し方のヒントになればと思うことを記しておきたいと思います。
ストレス性の病気については、こういったブログに書くことはあまり良くないとされています。
内容も抽象的には書いたものの、読後感として気持ちの良いものにはなっておらず、
こうして記述することも迷いました。
しかし、私の人生の1ページとしてはとても重要な出来事だったため、
しっかり残しておこうと思い、こちらに記しておきます。
炎上案件その1:某建設会社
建設会社で炎上案件と聞くと、なんだかドラマになりそうですね。
さて、本案件に加入したのは4月終わり頃、
育休明け後、いくつかの案件の後でした。
案件内容としては「ITを使ったビジョン策定支援」です。
簡単にいえば、
IT後進と言われる建設業界で、ITを駆使し、
あんなこといいな♪
できたらいいな♪
あんな夢こんな夢いっぱいあるけど〜♪
のために、何をやっていくかを考えるお手伝いです。
弊社メンバーは3人、シニアマネージャー、マネージャー、私です。
マネージャーは初対面の方でしたが、
結果的にこの方とは性格が合わないと、後にわかることとなりました。
お客さんは、役員とその部下たち計15人程度でしょうか。
会議は週に3回(月曜、水曜、木曜)、分科会×2、役員報告会です。
このご時世にも関わらず、毎度出社していました。
その中で、ビジョン策定を行うためにワークショップを開くことになりました。
ワークショップとは、みんなでふせんペタペタ模造紙に貼りながら、
ある程度の結論を出していく感じの、3時間程度の会議です。
お客さんから私たちへの期待は以下のようなものがありました。
- ファシリテーション
- コンテンツ作成
コンサル会社に求めている内容としてはごもっともだと思います。
しかし、頼む部署、人が違っていたと考えます。
私たちの部署はデータ分析を強みとしています。
確かにコンサルとしての役割は果たす必要はありますが、
テーマとしてはややかけ離れていました。
また、私はファシリテーション(司会役)が苦手です。
みんなの意見を聞き、まとめ、結論を出し、次の行動につなげる、
そんな高度なファシリテーション力は、
残念ながらペーペーの私には持ち合わせておりませんでした。
そんな中でまずはコンテンツ作成のために、日々パワポで資料を作っていきました。
ボツになった枚数はどのくらいだったのでしょうか。
作ってはボツ、作ってはボツ、
マネージャーからは正論の質問攻め、
キャッチボールが終わらないため毎日深夜に及びます。
深夜になってもマネージャーとチャットでのやりとりは続きます。
その時の日記があるので、そのまま転載してみます。
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2021年5月7日
某建設会社でのビジョン策定
1:30就寝、7:00起きで、
寝る時は気持ち悪く、朝も食欲がない
睡眠時間が少ないから辛いのもあるが、
時間が限られる中で(自分で追い詰める、マネージャー寝てない)無言の圧をかけられつつ、
やることが複数終わっていない中で、
一つのことに対しやるべきことができていない、
やるべきことが分かってない、
終わる気配がない、終わりが見えないから辛い
いわゆる、キャパオーバー
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もちろんゴールデンウィーク中も仕事の調べ物、
土日もろくに休まらず、
次第に体調を崩していきました。
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2021年5月15日
キャパオーバーがたたって、午後休をいただいた。
- 期待、求められていると思っていること
- ファシリテーション
- ストーリーメイク、全体像把握、スライドライティング
- 調べ物
- 議事録作成
- 期待に対して難しいと思っていること
- やったことがなく、こんなこともできないのかと失望させたり、怒られることが不安で動けない
- 業界知識不足で相手に刺さりそうなものが何かわからない→データ、AIの部分で貢献したい
- 覚えられない、認識違いが起こる→都度、私が理解している部分を確認する
- 不安事項
・この1年間、外に出て直接人と会って仕事することがなかったので、コロナ禍、娘が生まれたばかりの状況下で外に出ることが気づかないうちにストレスになっていた
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この頃から、さらに仕事でのミスが増えるようになりました。
以下は、普通に考えれば起こるはずのないミスです。
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2021年5月18日
他の部署のパートナーへ直接メールしたら叱咤された。直接聞く前にちゃんと調べたのかと。
この業界でもトップへのメールはいけない事が勉強になった。
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いよいよ体調的にも限界と感じた私は、
勇気を出して、本案件とは関係のない上司に打ち明けることにしました。
3時就寝からの6時起床で、上司へメールしたのは6時15分頃でした。
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2021年5月19日
早朝勇気を出して、今のままでは体調不良になりそうだということを、弱音と共に上司さんへ言ってしまった。
今朝も食欲がなく、胃がもたれ、手が若干震えた。
本当にピンチであるときには、
何を言われてもインプットできず、
思考停止に陥り、
人に頼ることができなくなることに気づいた。
その後、マネージャーさんに伝えてしまうと、シニアマネージャーさんも含めて気遣ってくれ、23時になったタイミングで仕事を終わって良いと言われた。
特に今日はタスクをほとんど振られなかった。
もはや評価が最低ランクでも、生命には変えられないと思った。むしろ、低評価をつけていただいた方が、変な期待を持たれなくて済むとも思った。
一方で、今後も遅かれ早かれこのような状況に陥ると推測され、乗り越えていかなければ昇進が遅れるんだろうなと懸念を抱いた。
今後、シニアマネージャーさん、マネージャーさんからは仕事を振られることはないんだろうなと思った。
明日、本案件を続けられるかどうかを上司さんと相談するが、事実と所感を分けた上でキャリアの話をしたい。
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上司への相談の結果、本案件から抜けさせてもらうことになりました。
なお後から聞いた話によると、私が抜けた後2週間で
本案件はボツになったそうです。
お客さんは、もはやプロジェクト全体が崩壊していたと判断されたようですね。
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2021年5月26日
某建設会社の案件を脱退した。
終始、できないことばかりだった。
デスクトップ調査(特に海外事例)、議事メモ、話の理解、ファシリ、ヒアリング、スライドライティング、論点整理、ストーリーメイキング。
できたことは、浅い国内事例収集。
分析ならバリュー出せる、と私の所属部門長さんには伝えてしまったが、本当にそうなのだろうか。
いかに極めるか、本気で取り組まないと、また同じ過ちを繰り返してしまう。
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ここで気づいたことは、
本当に辛い時は、人に打ち明けることが困難ということです。
私の場合で言えば、早朝上司へのメールです。
その日までは精神的、肉体的にもつらく、
思考力も低下していました。
当時の日記も誤字脱字が目立ち一部修正しました。
一刻も早くこの状況を抜け出したいと思う一方、
上司へ報告したらキャリアが終わるのではないか、
もう仕事が任せられなくなるのではないか、
会社に居づらくなるのではないか、
と心配しました。
その結果、上司にもこの状況を言うことに対し躊躇していました。
もし周りに少し辛そうな人がいた場合には、
大丈夫?元気?と、声をかけてみてください。
そう聞かれた場合、私はこう答えました。
「大丈夫、とは言い難いですかねぇ」
「んー元気…なのかなぁ」
一回勇気を出して話してみると、
その後少しでも声をかけられると、つらさをポロリポロリと自分の口から伝えるようになっていました。
さて、こうしてなんとか某建設会社の炎上案件としては、終焉を迎えることとなりました。
これでようやく少しは楽なる。
そう思った私が間違いでした。
思いの外ダメージが大きかったことを思い知らされました。
炎上案件その2:某嗜好品会社
次に入った案件は、6月の初め。
先の案件を脱退してから1週間後でした。
同時に新人研修の某BIツールの講師をすることになったため、
並行して資料を作成し、講師として説明したりしました。
さて、案件内容としては、ダッシュボード構築支援です。
簡単に言えば、例えばコロナの人数を確認する際、
こういったものを目にしたことがあると思います。
こういう指標や数値を日々確認するためのWebアプリ
(これをダッシュボードと呼んだりします)を作るお手伝いです。
もう少し業務寄りに言えば、某嗜好品が、
今月はどれくらい売れたのか、
目標に対してどのくらいか、
シェアはどのくらいか、
といった数字を見ていくダッシュボードを作ります。
今回は弊社のあるメンバーの交代要員として参画するとのことでした。
今回のマネージャーは、昨年一緒に案件を共にしたことのある人だったので、
前回マネージャーよりはやりやすいと感じていました。
さて、上記の案件内容を説明受けた後、マネージャーからはこうも伝えられました。
まず、プロジェクト進捗具合を【晴れ、曇り、雨】でいえば、正直【雨】です。
前任者がお客さんの本番環境のデータベースを止めてしまって、
不信感を抱かれているステータスです。
序盤から不穏な空気を感じました。
お客さんは、部長とその部下たち、その他部署をふまえると計50人程度でしょうか。
関係者が多すぎます。
その中での私の担当は、ダッシュボード作成にあたり
「データに詳しい人としてどのデータベースからどのデータを使うのか提案すること、
データベースから数値をどうやって作成するか、実現可能性を考えること」でした。
例えるなら沢山いるシェフに対して、
冷蔵庫に大量にある食材のうち、どの食材で、何を料理するのか提案する、その料理は先月どのくらい売れたのか、
例えばカレーは作ることができるのか検討する、そんなイメージです。
皆さんはどこから手をつけるでしょうか。
私はまず、大量にある食材を把握する必要がありましたが、これに多くの時間がかかりました。
特大の冷蔵庫が複数あり、冷凍庫、冷蔵庫にパンパンに入った食材を一つ一つ把握するのは至難の業でした。
それらを把握した後、次は料理を検討しますが、
作る料理がコロコロ変わります。
関係者が多すぎる、すなわちシェフがたくさんいるからです。
カレーが食べたい
いや、やっぱりハンバーグ
いやいや、まずは簡単なうどんにしよう
業務要件がコロコロ変わるたびに、都度データを作成し、検証します。
複数人のシェフから、こうしたいああしたいと要求が次々やってきます。
ここで私は受け止めきれず限界が来てしまいました。
当時の日記から心理状態の変化を見てみましょう。
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2021年6月6日
明日から多忙が想定される
高い成果物、相手にとって意味のある仕事ができるかどうか不安
孤独感を感じず、チームで向かって、責任が分散したらいいなと思う
2021年6月7日
緊張してあまりぐっすりと眠れなかった
動悸というのだろうか
2021年6月15日
前日22時に布団に入ったものの、月曜、火曜ともに、朝方4時5時に心臓のドキドキで目覚め、トイレに行く。
その後眠れているのかいないのか分からず、7時に布団を出る。スマホを見ると少しドキドキがおさまる。
起きている時間帯は、時々軽い咳もでる。
要因はおそらく仕事のストレスからくる切迫感
2021年6月17日
今週は毎日5時に心臓のドキドキで目が覚め、深呼吸するもののおさまらず、何をすればおさまるのかわからない。
2021年6月25日
「正直議事録ひどいですね」
23時過ぎ、メンバーさんからのチャットで落ち込み、マネージャーに弱音を吐いてしまった。
・誤字脱字、口語で読みにくい→3回読み返し、文語で記載する
・同じ内容を繰り返している→質疑応答、結論、補足を記載する
・理解しないまま記載している→話が通るようにする、できないなら抜け漏れなく記載する
おっしゃる通り正論であり、質の低いアウトプットだった。
最終的に2時に寝た。
2021年6月29日
夕方のMTGで単純な質問に対して答えられず泣きそうになる
2021年6月30日
朝食欲なく、バナナ2本とウイダーゼリー、水を摂取
咳が出る
2021年7月1日
朝、頭痛と気持ち悪さ
休みなのにドキドキして、眠りの質が良くない
「助けて、助けて」と頭に浮かんでいる
2021年7月2日
3:30緊張、5:40,6:20ドキドキ、下痢気味、気持ち悪い
朝ごはんバナナ2本(水で流し込む感じ)、ウイダーゼリー、ヤクルト、パウンドケーキ1かけら(牛乳で流し込む感じ)
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日に日に精神が削られていく様子がわかります。
そして産業医と面談することになりました。
面談にあたり、勤務時間を整理することにしました。
記憶と記録を総合しているため、おおよその勤務時間になります。
産業医面談のメモ
・5月勤務…226H/18日(12.56H/日)
・6月勤務…261.5H/22日(11.89H/日)
メモできていない日もあったためもっと多かったと思いますが、多くの実働、残業を行なっていたことがわかります。
最終的に、心療内科にてストレス性の病気と診断され、薬による治療を行うことになりました。
受診の結果を受けて、二つ目の案件も脱退することとなりました。
苦しい限りです。
要因と今後の対策
こういったストレス性の病気は、要因としては人それぞれです。
私の場合は、期待値調整の失敗と、周囲の手助けの無さが要因だったと思います。
一つ目の案件では、私が苦手とすることをクライアントやマネージャーから求められ続け、
案件の最初にマネージャーと期待値についてすり合わせできなかったことで、
できないことを時間で埋めようとしてしまい、高ストレス下での長時間労働となってしまいました。
最初の期待値調整、つまりこれはできる、これはできないの範囲をあらかじめ決めておくことが肝要だったと反省します。
二つ目の案件では、期待値についてはすり合わせしておりました。
しかし困った時の相談役がおらず、自分だけで解決しなければならないと思い込み、
周囲の助けを求めることができなかったことが要因だったと考えます。
追い込まれると周囲が見えなくなってしまう傾向は、私だけかもしれませんが、
困った時に助けを求める勇気、周囲を巻き込む元気を持ちたいなと思いました。
良かったこととその後
この4ヶ月間で救いだったことは、メモを記入していたことです。
心理状態や、食欲、睡眠状態など、なんとか本音をメモしていたことで、
いざ健康状態が悪化してきた際、事実に基づいてお話しすることができます。
悪化している状態では記憶力も曖昧になってしまい、思考力も低下しているため、
こういったその時のメモが重要になります。
メモの重要性を知り、心理的なストレス緩和を目指して、
今後は4行日記をつけることにしました。
冒頭3行はその日良かったこと、ラスト1行は明日への願いを記入します。
これは以下の本に書かれていました。
「ストレスフリー超大全 樺沢紫苑」
さて、心療内科を受診後、長めの夏休みをいただき、
今週から仕事を再開しました。
薬による治療は継続しています。
体を壊してから初めて気づいた自分の限界と、
健康第一であることを実感した4ヶ月間でした。
こんなご時世だからこそ、人との繋がりといいますか、
ちょっとした声かけができると、世の中少しは明るくなるなと心から思います。
はまを