ミーハーはまを言霊ノート

データ分析を頑張る30代パパ/セルフリファレンスの権化が人生の指針/淡い淡い夢はメディア露出

子どもの言葉からコミュニケーションを考える

 



 

こんにちは!

 

はまをです。

 

今回は日ごろから常々考えていた、言葉について記します。

 

私は言葉に対して人一倍繊細で敏感だと自覚しています。

 

小中学生のころ、言葉に関する軽い発話障がい(吃音)で苦しみ、それにより今もなお、話すことが少しトラウマになっているからだと思います。

 

rehab.go.jp

 

言葉と暮らす私たちにとって、言葉は今や当たり前で空気のような存在です。

 

しかし、たかが言葉、されど言葉です。

 

一度立ち止まり、あなた様が使う「言葉」に改めて着目いただけたら幸いです。

 

育休中の集大成感のある文章となりましたが、ストーリーになっていないため、読後感としては「TikTokや、YouTubeショート、Twitterあるいは今話題 のThreadsリプ欄のつぎはぎを見終えた感じ」です。

 

ただしそこそこの分量となりまして、1万文字を超えました。

 

書籍にして20ページ分くらいになりそうで、伝えたい要点は下記です。

※論理的な文章ではないため、繋がりが弱くぶつ切り的で、それぞれの章のまとめになっていないことはご了承ください。

 

本記事の要点

  • 言葉に含まれる意味は(連続的、離散的に)複数あり、文脈によって意味を推察することも必要
  • 子どもに言葉を伝えるにはオノマトペが有効で、目に見える形があるものから始める
  • コミュニケーションの醍醐味は自分の思考を何かしらの手段で伝え合うこと
  • 普段からポジティブな言葉と柔らかい語尾を利用して、優しい世界になってほしい

 

言葉に触れる


育休を取得してよかったことの一つに、娘の言葉を理解できていると感じられること、があります。


娘の言葉単体ではよくわからないことも、前後の文脈や一緒に経験したことから、何を伝えようとしているか推測できます

 

きっと家族以外の人が聞いても、娘が何を言いたいのかすぐに理解するのは難しいのではないかと思っています。


例えば娘が両手を前に出しながら「コーン、ちょーらい」と伝えたことがありました。


一般には野菜のコーン(とうもろこし)を想像するかもしれません。

 

しかし娘が伝えた時間がおやつ時だったことから、「ポップコーン」であると推察しました。


また「ちょーらい」は両手を前に出したことで、「ちょうだい」であることは容易に推測できます。


そこでポップコーンを出し「これ?」と聞くと、娘は「そーそー!」と嬉しそうにお皿を持ってきました。


私も娘が言わんとしていることを把握でき、意思疎通ができたことで嬉しい気持ちになりました。


この嬉しさは、外国で自分の英語が通じた時の高揚感に近いものです。


一緒にいる時間が価値であると感じることができます。


さらにこの、文脈から意味を読み取ることは一般のコミュニケーションにも言えることではないでしょうか。


相手と一緒に過ごした時間や相手がどの程度理解しているかによって、前提や言葉の説明をどの程度詳細にまたは省略して話すことを決めることができます。


相手の状況に応じて利用する言葉を変えることで、円滑なコミュニケーションを図ることができると考えます。

 

言葉を伝える


言葉は文字通り自己言及性の塊です。

 

言葉、これ自体が言葉です。

 

したがって、自己言及性の体現、セルフリファレンスの権化を目指すはまをとしては永遠のテーマとなります。

 

なお、本記事で利用した言葉もそれなりに気をつけてはおりますが、もろもろ乱れているのは、それもまた一興ということでご容赦ください。

 

hamawwo.hatenablog.com

 


子育てにおいて子どもに言葉を伝えることは、非常に高尚な知的作業と考えます。

 

言語の存在の前に、そもそもコミュニケーションの存在すらも知らない状態から始まり、自分の意思を言葉(あるいは身体)という媒体で伝える必要があるからです。


私は娘に言葉を伝える際、積極的に身体性を取り入れつつ、オノマトペを使うことを意識してきました。


身体性とは字の如く「体の性質、体の動きを伴う様」です。


例えば、

  • ねんねー(寝る)と言う際には実際に横たわったり、
  • おはよーと言う際には手を挙げてみたり、
  • またねーと言う際には手を振ったり

などです。


またオノマトペとは、動物の鳴き声で言う、わんわん、にゃんにゃん、がおー、ぱおーんなどです。


これらには実は人工知能の分野における「記号接地問題(シンボルグラウンディング問題)」と関連するということに、後から知ることとなりました。


子どもに言葉を伝える際、

はじめから大人のような言葉遣いを使っていれば、最近の子役のように小さい子でも大人のような話し方ができるようになるかもしれない

と思うこともあるかもしれません。


テレビ「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」に出てくる子どもたちのようになってほしい、

www.tv-asahi.co.jp

 

ドラマ「ブラッシュアップライフ」の子役・永尾柚乃ちゃんが放った幸せのおまじない「みやおかさんはきこんしゃ」と言える子どもになってほしい、

www.ntv.co.jp

 

と言った具合です。


子どもが生まれる前の私がそう考えていました。

 

しかし、物事にはステップがあり、子どもの言語学習には一定程度適した言葉があります。


小学1年生にいきなり正規分布を伝えるのもなかなか困難です。

 

掛け算、割り算から始まり、場合の数、確率、統計、そして分布といった順序が必要です。

 

これでも飛ばし飛ばしのステップであることは想像に難くないでしょう。

 

ブラッシュアップライフの「みやおかさんはきこんしゃ」と言うパワーワードは、バカリズム氏が長年脚本をステップ・バイ・ステップで描き続けてきた賜物でしょう。


そもそも、言葉を知らない子どもは、世の中のあらゆる「対象」と「言葉」が対応している、ということから学ばなければなりません


「名付けの洞察」いわゆるヘレンケラー事件です。


対象と言葉の対応付けに役立っているのがオノマトペである、と私は理解しています。


左脳と右脳の関係、身体動作と言語の獲得の関係について、詳細は下記の「言語の本質」に記載があります。

 

言葉を考える


ここからは「言語の本質」、冒険の書」、「ことばの発達の謎を解く」の一部抜粋と、所感を記載します。

 

読む順序は発行年順の、「ことばの発達の謎を解く」、「冒険の書」、「言語の本質」が良いかと思います。各種情報の鮮度が異なるためです。

 

もし本を読むことが手間と感じる場合、まずはこちらのYouTubeで解説を視聴することをおすすめします。


「言語の本質」「ことばの発達の謎を解く」

youtu.be

冒険の書

youtu.be

 

なお本記事では、言葉は日々使うもの、言語はその体系と捉えています。

 

①言語の本質


まずは「言語の本質」です。

www.chuko.co.jp

 

  • オノマトペ…部分的な類似性から感覚イメージを写しとる。
    オノマトペは右脳の環境音、左脳の言語音の両方で処理される
  • 音象徴…音そのものがイメージを喚起させる現象。「清濁音象徴」は濁点は大きくて重く不快なイメージ
    例…「あ」は大きく、「い」は小さいイメージ。「ころころ」と「ごろごろ」。
  • アイコン性…音と意味の類似性
  • 「ふ」・「ぶ」・「ぷ」で微妙なニュアンスの違いを生み意味を対立させているのは、日本語特有の歴史の産物であり世界共通ではない。日本語と韓国語のオノマトペの音象徴体系は高度に発達している。

 

これらの概念は自分にとっては新しく、そうなんだぁと感心しました。

 

特に音象徴について、私は子どもの名前を決める際「音」から決めたため、意識的ではありませんでしたが結果的に音が象徴するイメージを意識していたんだ、と気づきました。

 

言語はマルチモーダルなものであり、言語の10原則は「コミュニケーション機能、意味性、超越性、継承性、習得可能性、生産性、経済性、離散性、恣意性、二重性」

 

経済性(また多義性)は、言語の情報量、すなわち抽象度と具体度の話だと思いました。

 

 

子どもに「抽象的で複雑な記号の体系である言語」を伝える際に、オノマトペは伝達効率に寄与できることを確信しました。

 

やはり子どもにはオノマトペを使った言葉から始めることがよさそうです。

 

  • 名付けの洞察…ヘレンケラーの例が有名、全てのものには名前がある、単語には意味があるというひらめきを得た瞬間
  • ガヴァガーイ問題…知らない単語を話す原住民が、走ってるウサギの方を指差し「ガヴァガーイ」と叫ぶと、その意味は無限にあること
  • それぞれのことばは一つの対象とのみ結びついているわけではなく、広がりがある

 

ガヴァガーイ問題は今の娘にもよく起こる問題で、例えば私が娘に対し「アレ取って」と言っても、娘はどれを取って良いか分からず、その日に立ち尽くします。

 

また娘は「あんぱんまん」を、子どもたちに絶大なる人気を誇る丸い顔のあの文字通り「アンパンマン」とは別のことを指すことがあります。

 

それは「YouTube」です。YouTubeアンパンマンを見ていたことが要因と考えましたが、YouTubeを見たい時に「あんぱんまーん」と叫びます。


したがって、娘が単に「あんぱんまん」と言った場合、丸顔かアプリかを判別するには文脈を読みとる必要があります。

※ただ最近は基本的にYouTubeを指すことがほとんどです。また、もし手に粘土を持っている場合はアンパンマンのシールが貼ってあるローテーブルを指すこともあります。

 

なお、娘は言葉を覚えたての頃、アンパンマンのことを「あんまん」と呼んでいましたが、次第に「あんぱんまん」へと変化しました。

 

バイキンマンも、「きっきー」から「ばいきんまん」へと変化しました。

 

言葉の変化で成長を感じます。

 

形バイアス…物の名前を指す言葉を、似た形の物に使えるという思い込み

 

要は形から記憶しているということだと理解しました。

 

子どもにはまず形あるものから伝えると良いということでしょう。

 

アブダクション推論は観察データの説明のための、仮説を形成する推論

 

アブダクション推論は過剰な一般化による仮説思考だと理解しています。

 

アブダクション推論はWhy so?、帰納推論はSo what?と理解できそうで、またアブダクション推論は、統計的因果推論における潜在変数の仮定と類似していると感じました。

 

  • 言語習得とは、推論によって知識を増やしながら、同時に「学習の仕方」自体も学習し、洗練させていく、自律的な成長し続けるプロセス。
  • ことばに導かれて、観察不可能な関係の類似性に気づくようになる。

 

「推論」という学問分野は面白そうだなと思いました。


さて、本書を通じて、人のコミュニケーションの手段には、言語の他にも手話、ジェスチャー、写真、プログラミング、など様々あると気がつき、

 

いずれも何かを媒体として自分の思考と相手の思考を一致させようとする試みが、人のコミュニケーションの醍醐味なんだろうなと思います。

 

それでも思考を完全に一致させることは今のところ不可能で、それが曖昧性を含むコミュニケーションの難しさと面白さなのでしょう。

 

論理を正しく推論する能力ではなく、知識を想像力によって拡張したり、ある現象から遡及して原因を考えたり、1番もっともらしい説明を与えようとする人間の思考スタイルこそが、その(推論の力の)駆動力なのではないか

 

今まさにChatGPTを代表とする生成AIにおいて、幻想(ハルシネーション)はアブダクション推論による誤りと類似するものかなと感じました。

 

小休止


ここで娘(2歳5ヶ月)から発せられた、示唆に富み可愛げのある言い間違いをご紹介します。実際に声に出してみると、聞こえなくないものばかりかと思います。

 

滑舌の未発達系

・あっこ(抱っこ)

・いにー(ミニー)

・いんぽーん(ピンポーン)

・かーせーて(貸して)

・かんかんこ(交換こ)

・きっきー(ミッキー、昔はバイキンマンもこの呼び方だったが、次第にミッキーだけになった)

・くと(黒)

・こたっ!(こらっ)

・ごねんね(ごめんね)

・じゅーしゅ(ジュース)

・だーせーて(出して)

・たでたでー(まぜまぜ)

・たんぽっ(散歩)

・ちょーらい(ちょうだい)

・といない(取れない)

・ぱーちー(パーティー

・はんがーがー(ハンバーガー)

・ぷーちゃん(くまのプーさん

・ぼーり(ボール)

・みてーて(みせて)

 

文字多い

・どこーかかなー(どこかなー)


省略系

・あーと(ありがとう)

・あっしゃっしぇー(いらっしゃいませ)

・あっちっこー(あっち行こう)

・あったったっ!(始まった!)

・いいにょーい(いい匂い)

・いったったーしゅ(いただきます)

・おやすみんしゃーい(おやすみなさい)

・ぐーんと(ぐるんと、回転させる)

・たっ!(ごちそうさまでしたっ)

・ちんちーん(チリンチリン、三輪車)

・ついたった(付いちゃった)

・ぷーと(プルート)

 

推察が必要系

 

・ぽぽち(ポテチ、ポテト、どちらを指すかは文脈による)

・しゃーい(してください、何かを依頼する際に目的語に加え語尾に付与)

・きんちゃん(ドキンちゃんまたはコキンちゃん、別ものとして識別できているかは不明)

・あんぱーんちゅ(アンパンチ、何故かキックも含む)

・あんぱんまん(アンパンマンまたはYouTube時々テーブル、どれを指すかは文脈による、もし手に粘土を持っていた場合はアンパンマンのシールが貼ってあるローテーブルを指す)

・あんぱんまんばー?(アンパンマンはどこ?またはYouTubeはどこ?、何故か「は」ではなく「ば」)

・あんぱんまんしゃーい(YouTubeを見せてください、ここではアンパンマンではなくYouTubeを指す)

 

冒険の書

www.kinokuniya.co.jp


ここからは子どもへ投げかける言葉から少し派生し、教育という観点で最近「冒険の書」という本を読み、とても共感するところが多かったので、少し紹介します。

 

  • 実感するのは冒険に出てから
    事前に知って分かった気になってしまうと、本当に冒険で必要になった時、大事なことを見過ごしてしまう。
  • 失敗する権利を奪っている
    すると絶対に失敗が許されない空気が広がる「つくるべきは試行錯誤ができ、失敗が許容される環境」

 

この2つにはとても共感しました。可愛い子には旅をさせよと言いますが、過保護こそ失敗の権利を奪っていることになると考えます。


過保護とまではいかないまでも、常に答えを教えてもらっていては、失敗から学ぶ可能性を狭めてしまいます。

 

何かやりたそうにしていたら、知的好奇心を尊重し、すぐに手を出さず見守ります。

 

転んだり、こぼしたり、失敗したり、少しうまくいかなくても、「大丈夫、できるよ!」と言って試行錯誤させます。

 

もちろん、その結果に責任を持つのは私たち大人です。


「子どものため、相手のため」と思っていることも、「子どものため、相手のためにしてあげていることに満足したい自分のため、子どもや相手の結果の後始末をしたくない自分のため」だったりします。

 

私たち成人は、余裕を持って見守り、耐えることができ、相手の行動に対し責任を持つようになる、そんな大人への成長が必要かもしれません。

 

  • (子どもの実施結果よりもむしろ)プロセスを評価する「Good try!」
  • 鑑賞し、あるがままに感謝する「Appreciate!」
  • 「無用之用」という、余白にこちらの思考の余地を残すことに意味がある荘子の言葉がある

 

特に無用之用は、余裕やゆとりの価値が言語化されていると感じました。


「意味」には、言葉が示す内容、価値といった意味がありますが、ここから派生して、1つの言葉には複数の意味があるものの、ヒューリスティックに1:1で考えがちという自分のバイアスに気がつきました。


例えば「model(モデル)」という言葉があります。

 

ファッションならショーに出るような服をまといランウェイを歩くような人を指し、

数学なら本質となる余分なものを取り除いた数式、

AIなら学習させた仕組みを表し、

データベースならDB設計のことを言ったりします。


学生までは同じような背景を持つ人が多かったのですが、社会人になると個人が持つ背景や価値観が多様化します。

 

その上でコミュニケーションを取る必要が出てきます。

 

すると、同じ単語でも伝えたい意味が異なることがあるのです。


このことから、背景から言葉の意味合いを知ろうとする人がいるのかもしれないと思いました。


その人は言葉の意味が複数あることに気づき、どの意味かを明らかにしようとしているのかもしれません。

 

自分ではなく相手の言葉を尊重するが故に、何を言わんとしているか正確に把握しようと、あらゆる可能性の中から質問・推論し、意味を同定しようと試みます。


(あるいは単純に意味がわからないから推論しようとしていることもあります。)

 

私は学生時代の集大成とも言える修士論文の発表会で、ある教授から「あなたの研究は、意味がないですね。」というフィードバックを頂戴しました。


当時はとってもショックだったのですが、今思えば「意味」は受け取り手が見出すもののため、自分で意味を感じることが自己肯定感を上げることになるのではないかと思います。


(結局修了・卒業できたため、厳し目のお言葉は社会人として頑張れよという激励と捉えることにしています。)


文字通り受け取ることにはある意味で危険性があり、言い換えやリフレーミングの重要性、背景にある真意を探る試みの重要性が脳裏によぎりました。

 

教育ではなく、学育

 

子どもとは教える・教えられるという関係より、共に学びあう関係であるということに共感しました。

 

自立とは頼れる人を増やすこと

 

一見、自分の力で立つことを想定しがちですが、むしろ自分で立つために他者の協力を得ることに価値があることに、共感しました。

 

これは先ほどの「失敗する権利」に通ずるところがあります。

 

③ことばの発達の謎を解く

honto.jp

 

最後に「ことばの発達の謎を解く」を参照します。

 

語彙爆発


最近、娘は事あるごとに「これ、なーにー?」と言うようになりましたが、まさに本書の「ヘレンケラー事件」を経て「語彙爆発」の立証と考えています。

 

「ヘレンケラー事件」とは、ヘレンケラーがwaterと言ったことで、あらゆる物事と言葉が1対に対応していることを学習した瞬間の洞察のことです。


ところで、ここ最近、娘の言い間違いや新しく何かを伝えようとしている姿から、何を言おうとしているか、どうしてそうなるのかを推測するゲームが楽しくマイブームです。


例えば、最近「アンパンマンはー?」ではなく何故か「アンパンマンばー?」と言います。


また、これも未解決の言葉ですが、おおよそ手を挙げながら「ひーぃふぁーい」ということがあります。

 

あとは歯磨きの最中などに「ばーじじ、ばーじじ」と言います。おそらくばぁば、じぃじではありません。


これからさらにどんどん言葉を覚えていくため、いつの間にか修正されてしまうことが想定されるため、


これらの言葉についてはどういう意味か積極的に推察したいと思います。

 

形バイアス


以前妻に「おさるのジョージの影を見てジョージと判断していたことから、色ではなく形で判断していることがわかる。」と伝えていましたが、

 

まさにその内容が本書に「色や模様ではなく形から理解する」と記載されており、本書の実験結果と私の推察結果が一致していたことがとても嬉しかったです。

 

単語の多義

 

「固有名詞より一般名詞を先に覚えるのは、複数のカテゴリに当てはまる言葉の方が、子どもにとって役に立つことをわかっている」


役に立つとは、コミュニケーションをとることとすると、子どもは他者と意思疎通をすることに価値を置いているのではないかと思いました。

 

「言葉は状況によって使い分ける(同じ対象を見ても、状況によって犬、プードル、ペットなどと言い換える)ことができるため、文脈も言葉の意味に含意」

 

まさにAIの分野において、LLM(大規模言語モデル)の爆発的普及により、言語の重要性が増している今、2歳の娘という人間の発達に言語がどの程度必要なのかを生々しく観察できる状況のため、私はとても面白い時代にいるなと感じます。


使用頻度やコミュニケーションに役立つかによって、言葉の意味には連続性の濃淡があると思いました。

 

本質に近いところが意味の中心であり、より濃いイメージです。

 

例えば、赤とは、実際にどこからどこまでを言うのでしょうか。

 

愛とはどういう意味でしょうか。喜び、楽しみ、友情、親しみとは違うのでしょうか、あるいは含まれるのでしょうか。


「似ている」は抽象度が高く複雑な意味を持つと感じました。

 

共通項に納得感があるか、なのでしょうか。


総じて、本書から

  • 言葉は文化や慣習・文脈や状況によって意味が変化すること
  • 言葉は脳内の思考を伝え合うための手段であること

を、強く認識することができました。

 

言葉と暮らす

ここまで、言葉について書籍を通じて考えたことを記してきました。

 

最後に伝えたいこととして、私は「言葉が思考を作る」と考えているため、強く意識的にポジティブな言葉で、柔らかい語尾を使うようにしています。


できていないことの指摘より、少し強引にでも可能な限り良いところを探して言葉にします。


背景に、かつて私は精神的な病になったことで、ネガティブな思考をなるべく避けたいと思ってしまうことがあります。

 

hamawwo.hatenablog.com

 


やはりネガティブな言葉を浴び続けると、思考もネガティブになってしまいます。


しかし逆に、生活がポジティブな言葉で溢れかえると、ポジティブとはいかないまでも、心地よいニュートラルな思考の状態でいることはできると思っています。


したがって、ポジティブな口癖が娘にうつるのはとても嬉しいものです。

 

「あーと!」(ありがとうの気持ち)

「いいねー!」(肯定のスタンスをとる態度)

「だいせいこーう!」(自己肯定感の向上)

「じゃあいこっか!」(まずやってみる思考)

 

どうしてもネガティブになってしまう時の対処法として、ネガポジ辞典替わりとして、流行りのChatGPTで「次の言葉を前向きな言葉に言い換えてください」と聞いてみると、リフレーミングされていい感じです。

openai.com

 

自分が話している言葉がポジティブかネガティブかわかるアプリや、自分の口癖がわかるようなアプリがあればいいなと思っているのですが、未だ見つかっていません。

 

もしご存知の方いらっしゃいましたらご連絡ください。

 

また、柔らかい語尾とは、きつい語尾の反対で、断定的ではなくソフトなイメージです。

 

具体的には言葉の語尾を「XXXな」、「XXXね」、「XXX~(伸ばす)」という感じで終えるようにしています。

 

例えば、やってほしい時・お願いしたい時は「XXXやって。」ではなく、「XXXお願いしてもいいかな」、「XXXをやってみようかね~」、

 

同感する時や言葉を考えている時は「そうだよね~」、「そうね~」、

 

断りたい時は、即相手を否定するのではなく、「今回は辞めておきましょうかね~」といった具合です。

 

特に語尾を伸ばすことはよく実施します。

 

きつい語尾によって、相手を動かしたり言い聞かせたりすることは自分本位です。

 

急いでいる時や余裕がない時、相手への配慮が足りず、素早く言いたいことを言い、自分が不安定・不完全な状態から抜け出したいと思うのです。

 

(ここで、強いメッセージを伝える意図で、あえて「きつい言葉」で記載すると、)自分の思い通りにするための、言葉による相手の支配、いわば自己満足のための言葉の暴力と考えています。

 

きつい語尾で発したとしても、受け取り手はネガティブな感情になることを防ぐため、拒否反応か受け流す反応を示します。するとまたきつい語尾で発し、拒否する・受け流すという負のループです。

 

柔らかい語尾では優柔不断や自信がないように見えてしまうかもしれませんが、それでも私は優しく柔らかい印象で言葉を投げかけ、一緒に考えていきたいと思っているため、仕方がないと割り切っています。

 

娘は絶賛イヤイヤ期、赤ちゃん返り真っ只中です。

 

ピークに達した場合、本当になす術なしです。ほんとうに…

 

それでも、そんな時だからこそ、投げかける言葉には細心の注意を払います。

 

もはや自分との戦いです。

 

息をフーッと吐き、一息ついてから、言葉を発するようにします。

 

こちらの都合や伝えたいことを聞かせる、従わせるのではなく、自ら動いてもらえるような言葉遣いを、全力で考えます。

 

子どもは自由です。時間的、心理的ゆとりを持ちたいですね。

 

そんなこと、わかっている、それでもできないこともあるかもしれません。

 

覚悟を持って、手間と感じても、やるのです。感情が表情や態度で出てしまったとしても、言葉だけは前向きに発します。子どものため、ひいては自分のためになります。

 

大事なのでもう一度。息をフーッと吐き、一息ついてから、言葉を発するようにします。

 

世の中のパパ・ママ、ほんとうにお疲れ様です。

 

さて、いかがだったでしょうか。

 

そこそこ長い文章になりましたが、この文章の長さ自体で、私がいかに言葉を大事にしているかを示せたらと思っています(これもまた自己言及性の一種でしょう)。

 

今回、「言語の本質」、「冒険の書」、「ことばの発達の謎を解く」をそれぞれ読みましたが、個々人の状況に応じたコンテンツ(動画、本等)や体験をすることが経験を豊かにすると実感しました。


今、私は子どもの言語や教育に興味があるため、それ関連のコンテンツの内容は、自分に刺さりやすかったです。

 

また、これも本質とは外れますが、3つの書籍の内容を参照しつつ思ったことを本記事で記載しましたが、3つの書籍を読んでいる間にも考えたことをメモに残していました。

 

したがって、書籍の内容自体以外にも、個人的にはその読書をする時間の長さ自体に価値があると思いました。いわゆる読書体験というのでしょうか。スターバックスは、コーヒーという商品自体に加えて、むしろそのコーヒーを飲む時間にこそ価値がある、といったものと類似しているのかもしれません。

 

子どもへの言葉を考える際、言葉それ自体の価値に加え、考える時間それ自体に価値があるのかもしれません。見えないもの、時間が価値となるかどうかは、アウトプットしているかだと考えています。

 

子どもに話しかける言葉は鍼治療のように、深く刺さり、いつか役に立つときが来ると「アハ体験」となります。

www.1101.com


自己言及をわかりやすく体現する「言霊」を信じる私にとって、これからも共に言葉と暮らしていくことを大切に、少なくとも家では、子どもたちにできる限りポジティブで優しい言葉に触れさせたいと思います。

 

また言葉を伝える私自身が、ポジティブでハッピーに過ごすことで、自己言及性を体現し続けたいと思います。

 

 

hamawwo.hatenablog.com

 

 

はまを