こんにちは!
はまをです。
今回は家事に関する価値の可視化を実施したお話をします。
育休中は自然と仕事より私事に目がいき、自分の家庭について考えることが多くなります。
前回の育休に引き続き、今回も家事について思うところを記載します。
前回の育休取得
課題感としての症状
そもそも家事に関する課題感としては下記でした。
- 家事の定義が曖昧
- 家事の報酬が曖昧
1.家事の定義について
wikiによると、
「家事(かじ)は、掃除、洗濯、炊事、買物などの、家庭における日常生活のことである。」とのこと。
家庭における日常生活のこと…
要は家にいる時の行動全部って感じでしょうか。
またよくあるのが、名前のない家事が多いということです。
掃除、洗濯、炊事…といったように、おおまかに行動の名前が決まってはいるものの、
どこからどこまでの範囲なのか、どうしたら始まり、どうしたら終わるのか、曖昧です。
この辺りについては、この前ドラマ化したマンガ「ミステリという勿れ」でも触れられていましたね。
本作は視点が独特ですが、わかりみが深いです。
また、過去の記事でも所感を述べています。
2.家事の報酬について
そもそも私は損得で動いてしまう価値観があります。
「何かしたらその見返りに何くれる?」思考をしてしまいます。
これについては「冒険の書」に、簡単に記載されていました。
曰く、資本主義社会の影響ということです。
私は資本主義社会で生きており、それに順応し、社畜民になってしまったがために、行動に対して見返りを求めてしまうようになってしまいました。
ひもじく、世知辛いですね。
行動に対する報酬が必要という前提です。
仕事の場合、自分の行動や成果に対し、給料という報酬が与えられ可視化されることで、それがモチベーションになったりもします。
しかし、家事においてはそういった報酬がなく、可視化もされません。
これもまたドラマ化したマンガ「逃げるは恥だが役に立つ」逃げ恥でも取り上げられていましたね。
逃げ恥では「家族からのありがとうが報酬」的なことが触れられていました。
わかります、とってもわかります。
ただこれでは他人依存になってしまい、「ありがとう」と言われないと行動しなくなる危険性もはらんでいます。
かつて妻に「感謝されなければ動かないのか?」と問われたことがあります。
その時「はい」と答えると…
「クソだな」
と、ありがたいお言葉を頂戴いたしました。
反省です。
解決策としての処方箋
上記の課題感でのポイント、
- 名前のない家事がたくさんある
- 家事の報酬は自分の中で作る
ということに対し、考え出した処方箋が、
家事管理アプリ「Toggl Track(以下Toggle)」で実施した家事の記録でした。
Toggleとは、いわゆるタスク管理アプリで、行動のスタートと終了を簡単に記録することができます。
Apple Watchにも対応しているため、簡単に記録できます。さらにWebでもログインして見ることができるため、間違えても後からPC等で簡単に修正できます。
記録管理アプリでのコツですが、記録する簡単な方針は「自分ちょっと頑張ったかも、と思った時の家事と育児を記録する」としたことです。
例えば、他にやりたいことがある中で、時間を割いた場合は記録します。
また無意識でできることや、全く苦に思わないようになったものは記録しない(記録し忘れる)想定です。
完全に主観です。
家事と育児の棲み分けは微妙ですが、
- 家事…自分を含めた家族のための行動
- 育児…家族の内、子どものための行動
とすることにしました。
なお子どもが1歳になるまでは、私たち世代では懐かしのMIXI社によるアプリ「ぴよログ」で管理することは、今や一般的になったのではないかなと思います。
ここで2つの課題感についてどう解消したか説明します。
1.の「家事の名付けが難しい」問題に関しては、とりあえずタグ付けするくらいの気持ちで、検索性を考慮した行動名で家事を記録することで対応しました。
その後何かしらの不都合が生じた場合、家事の名前についての整理は後で行います。
というのも、冒頭でお話ししたように、家事には抽象度が様々だからです。
過去の記事でも述べています。
洗濯といっても、例えば「洗濯物をしまう、洗濯物を畳む、洗濯物を片付ける」など様々あり、抽象度をいちいち合わせるのは困難です。
また名前のついていない細々した家事は「●●整理」、「●●準備」とかにしておき、とにかく記録することに重点を置きました。
また、家事には一つのタグで表せないものもあります。
例えば、外に出る時、おもちゃ片付けなのか、お出かけ準備なのかです。
あるいは、息子を抱っこしながら、食器を片付けることもあります。
これも、Toggleはタグ付け機能がありますし、とりあえず記録することに重点を置きました。
後で修正できますし、そもそも家事の時間の概要を把握することに意味があると思ったからです。
ただやはり初めて記録する時は、いちいち家事の名前に少しは頭を使う必要はあるのは否めません。
2.の家事に対する報酬について、これは心持ちの問題です。
家事の記録時間を見て、
「自分、こんなに家事やってる、えらい!」と思うことでモチベーションを保つようにします。
私の場合、実施した時間を見ると達成感を味わえるような性格だからかもしれません。
また現に、本記事として残しておくことができており、私にとってはある種の報酬になっています。
もちろん「自分はこんなに家事をやってるんだぞ」アピールではありませんし、
「自分がやってるんだから相手も対等にやるべき」というのは筋違いでありナンセンスです。
あくまで自分の中で完結するための手段です。
また、育児に関しては「自分、こんなに娘や息子と関われてる、嬉しい!」といった感じです。
私は親が直接時間をかけた分だけ、子どものためになると信じています。
育児はしなければならない義務というより、したいと思う権利です。
私はなるべく子どもと接する時間を多く持ちたいため、関与できる権利を積極的に行使したいです。
結果としての経過観察
さて最後に、Toggleで家事をした結果について記載します。
なお、時間の分析についてはいずれ気が向いたら実施できたらと思います。
1.厄介なことに、家事・育児は直列ではなく並列で進んでいくことに気がつきました。
アベンジャーズでいうところの「マルチバース」のようなもので、複数の世界線が多数発生するイメージです(そこまで壮大なものではないですね)。
メタバースとマルチバースの違いは?意味や相関性をわかりやすく解説! | メタバース相談室
「夜ご飯の準備」をしていた最中、突然「子供がこぼしたジュースを片付ける」、「おもちゃを片付ける」、「お風呂の準備をする」などが発生します。
自分でコントロールできない仕事が、わらわらわらと突然降ってくるのです。
そしてすぐに元の家事に戻る必要があります。
あらゆる場面で、いわゆる心理学の「ツァイガルニク効果」を感じることになります。
これはかなりモヤモヤしました。
ただ、Toggleでの記録によって、少し前にやっていた家事をすぐに確認できる点で、思い出す手間は少し楽になりました。
2.家事はフローで考える必要があることに気がつきました。
上記の並行タスクにも類似していますが、家事はその場、その瞬間で終わりということはありません。
だいたいの家事はまた次があるため、その前後でどういうことをするかという流れで考える必要があるということです。
例えば「掃除機をかける」の場合、その部屋の掃除をして終了ではなく、いずれ掃除機にゴミが溜まった場合には掃除機内のゴミを捨てることになります。そこで、掃除機をかけたらこまめに掃除機内のゴミを捨てる、という家事も発生します。
ちなみにゴミ関連でのぼやきで、おむつのゴミってとっても重いんですよね。20Lのゴミ袋がすぐいっぱいになるため、捨てる際はそこそこの筋トレになります。
また「食器洗い」も、洗う前には調理で使った計量スプーン・包丁・まな板があり、洗った後も最後食器棚にしまい、また使用する際に取り出します。そのため、例えば調理の際に少ない道具で実施できれば、食器洗い、しまう行為は少なくなります。
このように家事はサステナブルな運用です。その後まで想像しフローで考えましょう。
3.この家事って本当にここまでする必要あるか疑問に持つことも増えました。
自分で家事をやっているからこそ、作業の簡略化や電化製品で効率化を図れそうなところに気づくようになります。
今なんとかしたいのは、洗濯物をたたむことです。
子どもが小さいと、ひたすら洗濯するんですよね。
ほんとに、ただひたすらに、毎日毎日、洗って、干して、たたんで、しまう…
整理整頓のため、衣服を長く保つためとはいえ、私にとって特に洗濯物をたたむことは、作業の割にイマイチ価値を感じにくい家事だと思っています。
そもそも、どの程度着たら洗濯するのか曖昧で、そこまで洗濯する必要ってあるのかなぁという疑問があります。
ここでも作業対効果(思考対効果)を考えてしまう私は資本主義の権化ですね。
さらに、洗濯、特にたたみ方は家庭ごとのルールやこだわりポイントが異なるため、この価値観のすり合わせが結構大変だったりします。
なお家族が家事を行なっている場面でいちいち口を出すのは「マイクロマネジメント」となるため、イマイチだと思っています。
小言が騒がしいおじさんにはなりたくないです。
どこまで裁量を持って実施するかについても、対話が重要であることがよくわかります。
同じことをいちいち聞かれたり話したりするのは手間かもしれませんが、価値観は人それぞれのため、ある程度の寄り添いも必要ではないかと思います。
終わりに
さて、いかがだったでしょうか。
家事についてつらつらと思うところを書き記しましたが、どなたかの気づきになれば幸いです。
家事も育児も、結局は家族との価値観のすり合わせや、コミュニケーションが大切です。
そのコミュニケーションの手段となるのが、言葉です。これについては次回の記事で記します。
なお、この記事を書こうと思ったのが、息子が生まれる前でした。
息子が生まれてからは、正直、今回のようにいちいち記録してられないほど、色んなことが起きます。
娘のイヤイヤ期、赤ちゃん返りでそれどころではないことも多々です。
ただ、様々なことが起きても、少し冷静になるためにも、家事・育児の記録は続けていきたいと思います。
はまを